バブル崩壊と共に家族も崩壊した焼肉店の相続物語


仕事に情熱を傾けた父が残した莫大な財産
高橋家の父である高橋太郎は、20代で子どもを4人授かりましたが、30歳になると同時に一念発起して焼肉屋をはじめました。とにかく元来真面目一筋で、仕事熱心な太郎は一生懸命働き、開業して10年後には市内中央区の一角に中古のビルを購入して、その1階に店舗を移転させました。
結婚して授かった長男も、お店の移転時には従業員として、父の焼肉屋を手伝うようになり、ますますお店は軌道にのって順調に売り上げも伸びていきました。
益々繁盛する焼肉店とそれぞれの道を歩み出す子ども達
長男が父親の右腕となりお店を切り盛りして数年後、時代はバブル景気となり、店は益々繁盛していきましたが、父の悩みが一つありました。
それは、店を拡大したいが、手伝ってくれるのは長男の一人だけ、妻も開業当初より手伝ってはくれますが、やはりここ数年頼りになるのは長男だけ、その他の3人の兄弟は、それぞれ独立して家業とは全く関係のない仕事についてしまい、家業に関わることは全くありません。
父親も、お店の将来を託すのは、長男しかないと思い、自分がいなくなった後は、この店の建物や土地は長男に相続してもらって、家業を続けてもらう意思を固めていました。

ある日突然降ってわいた、高橋家の相続争い
父は常々、将来この店を任せるのは長男しかいないとは思っていましたが、ある日突然、急な病でこの世を去ることとなりました。急な話で高橋家の残された家族は悲しみに打ちひしがれましたが、父親なき店の営業を何とか継続していけるよう、母親と長男は一生懸命働きました。
幸い時代はバブル景気に沸く福岡、父のなき後もお客様が減ることもなく営業は順調に続いていましたが、父の遺産分割協議で高橋家の相続争いは、思ってもないへ進むこととなります。

この高橋家の相続争い、父の生前の思いが叶わなかっただけでなく、バブル景気の崩壊後、高橋家も崩壊することとなります。相続について考えさせられるこの話の続きは是非、当事務所のセミナーで聞いて頂けたらと思います。
相続は財産の多少にかかわらず、100人いれば100通りの相続があります。相続に関してお困りのことがあれば、福岡市東区の香椎相続不動産事務所へお気軽にご相談ください。
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