宇津井健の遺産争いは決着していた! クラブママの未亡人が明かす真相

宇津井健の遺産争いは決着していた! クラブママの未亡人が明かす真相

1/20(月)5:58配信  デイリー新潮

宇津井健さんの相続問題その後

 年が明けて、今年七回忌を迎えるのが俳優の宇津井健だ。82歳で逝ったその日に再婚したことで巷を騒がせたが、あの問題は一体どうなってしまったのだろう。“新婦”と彼の一人息子との間で勃発した、遺産相続の後始末である。


 2014年3月14日、慢性呼吸不全に陥り死の床にいた宇津井は、息を引き取る5時間前に入籍を果たす。

 彼にはテレビ局に勤務する一人息子がいたが、名古屋での葬儀は、喪主を“新婦”が務めた。彼女の名前は宇津井文恵さん(85)=旧姓・加瀬=。かつて名古屋では「夜の商工会議所」と呼ばれ、政財界の大物たちが足繁く通った高級クラブ「なつめ」の名物ママだ。

 長年連れ添った妻を病で亡くした宇津井は、最晩年を名古屋にある文恵さんの自宅で過ごし、半ば同棲状態にあったとされる。亡くなる数年前からは肺気腫が悪化し、これまで看病してくれた彼女への感謝を込めて、婚姻届に判を押して入籍を懇願したという。

 死後になって明らかになった美しい物語に、世間は名優の人柄を偲んだものだが、それが一転、泥沼のバトルへと展開するのに時間はかからなかった。

 芸能担当記者が解説する。

 「遺言状がなかったことで、遺産を巡って未亡人と一人息子の間で争いが起こったのです。健さんは、00年に東京・目黒区内に息子家族と同居するための二世帯住宅を建てました。敷地は約160平方メートル、3階建ての上物の床面積は約250平方メートルの豪邸ですが、その約8割が健さんの所有分。実勢相場2億円を超える物件ですが、民法上は、その半分を妻が相続できる形です」

「ノーサイド」

 「なつめ」の経営が傾いているという噂もあったため、周囲からは“結婚は財産目当てだったのでは”などと訝(いぶか)しむ声が噴出。ホテルオークラ(東京)で開かれたお別れの会を境に、争いは決定的なものになってしまう。

 きっかけは、息子が作成した案内状だった。そこに未亡人の名前が記載されなかったことで“面子を潰された”と激怒した彼女は、名古屋に新たな墓を建立し遺骨を納めてしまったのだ。

 そう報じられもしたが、あれから歳月が経ち宇津井家の面々はどうなったのか。

「遺産問題は、とうの昔に解決していますよ」

と明かすのは、当の未亡人である文恵さんだ。

 「最初から遺産を貰うつもりはなかったので、健が亡くなり1年も経たないぐらいで、放棄することを(息子側に)伝えました。確かに、お別れの会の案内状には、お願いしたのに私の名前が書かれなかった。無視されて怒ったことはあるけれど、私は揉めるのがキライだから、あれからすぐに辞退したんですよ」

遺骨の行方についてはこうも言う。

「一度は全部引き取りましたが、2年ほど前に申し出があって取りに来られたので分骨しました。それ以来、彼とは連絡をとっていませんし、付き合いもない。息子には違いないわけだけど、こちらからごちゃごちゃ言えば可哀そうだし……」

もう一方の当事者である宇津井のご子息に訊くと、

「遺産も放棄され、お骨は分骨して貰いました。ここに至るまでのことは詳しく申し上げませんが、いろいろありました。互いに言いたいこともあるでしょうが、彼女の主張の真偽も含めて、私から特に申し上げることはありません。すべては済んだことであり、もはやノーサイドです」

 女の意地で宇津井との純愛を証明してみせた未亡人。手元に遺ったのは、夫婦の歩みが記録された数々のツーショット写真だという。

ワイド特集「『初夢』『正夢』『悪い夢』」より

宇津井健の遺産争いは決着していた! クラブママの未亡人が明かす真相


当時、亡くなる5時間前の急な入籍や、 文恵さんが代表を務める会社が莫大な借金をかかえて倒産したため、色々と噂が立っていましたが、結論としては相続を放棄して一件落着となったようです。

しかしながら、もし入籍の覚悟があったのなら、それ以前に遺言を残しておいたら、このような問題が発生しなかったのかも知れません。

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